【鷹山について】

鷹山は応仁の乱以前から巡行していた由緒のある山鉾で、「くじとらず」の大きな曳山でした。御神体は鷹匠、犬飼、樽負の御三方で、中納言在原行平様が光孝天皇の御幸で鷹狩りをする場面です。鷹山も他の山鉾と同じく幾多の災害にあいながらも七転び八起きで立ち上がってきました。そして鷹山は他と競いあうようにして豪華になり、江戸時代後期には黒漆塗で破風裏は金という華麗な屋根を持つ曳山になりました。

ところが文政9(1826)年の巡行で大雨にあって懸装品を汚損したことを理由に、翌年から加列しなくなりました。

それから現在まで約190年もの間、御神体をお飾りする居祭を三条通室町西入の町家等で続けてきました。

近年、復興の気運が高まり、2014年に鷹山囃子方、2015年5月に一般財団法人鷹山保存会を設立いたしました。そして2016 年1月に公益財団法人の認定を頂きました、鷹山は都大路を巡行する日を目指して着実に歩んでおります。

往時の鷹山(復元図)

作図 中川未子(よろずでざいん)

現在「祇園祭山鉾連合会」のホームページにて鷹山復興のための基本設計案(PDF)がこちらのページから閲覧できます。

「鷹山の歩み」が読みやすくなりました。

鷹山の詳細につきましては、衣棚町の隣の神明町に

お住まいだった歴史研究家廣田長三郎氏(2015年に95歳で没)が、

93歳で執筆された「鷹山の歩み」をPDFにてこちらからご覧になれます。